2008年08月27日(Wed)

とはいったものの。

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なにも思いつかない…
ちょっと宿題に追われているので書くことができないんです。
少々待っていただけると助かります。
 
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2008年08月26日(Tue)

だんだんと文化祭にむけて

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久しぶりに文化祭の準備をしている様子を見ましたが、僕があれやこれやしている間にも、どうやら学校の方は平和に進んでいたようです。よかったよかった。
Tシャツも完成して、さらにパンフの表紙の原案を見ていよいよ文化祭だなという気がしてきました。

明日にはもっと書きたいと思います。
なんかつかれてしまいました。
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2008年08月25日(Mon)

葬送の儀で見えてきたもの

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確かに祖父が英語の教員をしていたのは知っていましたが、実際どのような先生だったかは窺い知る機会がありませんでした。葬儀での弔辞の中で教え子代表の人の話を聞いているとそうとう生徒に好かれた真面目な先生だったのだなと思われました。亡くなって再び祖父の別の面を知ったような感じです。自分の祖父のイメージは飲兵衛であることくらいしかありませんでしたので、若いころのことはもちろん無知なのです。いつでも洋服をきっちり着るところに真面目なんだなと思わせることがあったくらいです。
それはいいとして祖父と自分の意外な共通点として、反体制派であるということがわかりました。祖父は教職員の組合の活動に精力的に参加していたそうです。自分の気に入らないところは絶対に許さない、そんな一本筋の通った考えを持っていて、「なぜペコペコするのか」と同僚にも言うくらいだったそうです。家にあった大量の本の中に、教育論についてのものもたくさんあったのも納得です。博識だったのです。
さらに、共通点がありました。これも亡くなってみるまで分かりませんでしたが、祖父はかなりの哲学者だったのです。学生時代から「俺の哲学はこうだ」と同級生に話しかけて、困らせていたとのこと。思想についても詳しかったようです。宗教、思想に興味をもったのは、自分と全く同じで、しかも今の自分と同じころに同じようなことを考えていたんだなと思いを巡らせてみると、ああやっぱり自分の祖父だなという思いが生まれてくるものです。
祖父の兄に会う機会があって、いろいろ話を聞きましたが、書きものが好きだと。自分もなんだかんだ言ってうだうだとこのブログに長文を書き連ねていますから、これも同じだなあと思いました。

自分は明らかに周りの高校生に比べて考えが偏屈ですし素直に物事を考えることができませんから、浮いているなあと感じることは多々ありますし、そしてわからない人に軽蔑の眼差しを向けていることもまた事実です。けっして嫌悪しているわけではなく、軽蔑しているんです。たちが悪いですよね。その点では祖父の考え方がもっと強く出てしまったのかなと思います。まあそうなってしまった自分が言うのもなんですが、自分はやっぱり良くも悪くも祖父を受け継いでいるんだと思えて、祖父の死を乗り越えることができそうかなと思い始めています。自分自身が祖父の遺志を継いで生きていくこと、これがまた自分の糧になると思います。
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2008年08月23日(Sat)

大変だった

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やっとお葬式も終わり、今はゆっくりしています。いや、本当に疲れますね。1年に2回もやるとは夢にも思っていませんでしたからいや、参りました。まず夏場は腐るのが早いですから、早く火葬しないとなあと思っていましたが、次の日が友引で火葬場が休みです。仕方なく2日後となりましたが、やっぱり匂いがして気の毒でしたね。
葬儀で今年2回目となるお別れの言葉(親族なので弔辞ではありません)を言いましたが、カンペなしで話を考えながらしたので何を言ったか覚えて…ますね。うん、まあちゃんと話せたと思います。
お葬式は泣く暇もありません。そのくらい忙しい。終わってから「ああ、もういないんだ…」としみじみ感じるものです。祖母の時もしばらく虚脱感と寝付けないという症状にさいなまれる日々が続きましたが、今回もそうなってしまうのかなと心配です。
 
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2008年08月19日(Tue)

時間を感じる瞬間と宗教

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犬が隣で啼いています。
砂時計の1分計がありました。
手にとって、ひっくり返してみました。
砂が落ちます。
落ちます。
落ちます。
落ちます。

1分経ちました。

この1分は「徒な1分」だったのだろうかとふいに思いました。
もう一度ひっくり返してみました。
砂が落ちます。
落ちます。
落ちます。
落ちます。

1分経ちました。

この「1分が無駄であるか考えた1分」はまた「徒な1分」だったのだろうかとふいに思いました。

つまり、無駄であるかどうかを考える時間は無駄なのかということが問題なのです。結局として、時間の重みを分かってその後の1分をもし無駄にすごさなければ考えた1分は取り戻せます。しかしその考えた時間を使わなくても時間を有効に使うことはできるのではないか、と時間を使いながら時間の使い方について考える時間が過ぎていきました。いわば、何を議論するかを議論するかのような、そんなパラドックスに陥ったような気がします。

というのも祖父が亡くなってから初めての勤行(ちなみにうちは曹洞宗です)で読まれた文章が、「徒に100年生きても意味がない、その時その時を行(つまり禅とかですね)にせよ」という文言があって、それが5月の母方の祖母の葬式(こっちは浄土真宗大谷派)で読まれた文言、「白骨の御文」で調べてみるといいと思います、に意味が酷似していたのであれ?と思ったわけです。もちろん真宗ではその時間を念仏にはげめという教えになるわけですが、言っている意味は結局は徒な時間を戒めるものです。この無駄な時間とはきっと何もしていない時間を指すわけではないでしょう。本当に何もしていなかったら悟りを開いていますよ、多分。要するに仏さんに感謝することもせずに私利私欲に走る時間なのでしょう。時に調子に乗っているときに人間は自分だけで生きているような錯覚に陥りがちなものです。まず、自分の先祖、仏さんがいなければ自分はいなかったのですから、直接的に、あるいは間接的に自分のルーツとなっている人々には感謝しないといけませんね。その上で今の自分でお世話になった人々に心から感謝すること、そして出来れば仏法にはげむことを言っているのでしょう。現代人には時間がなく宗教を意識する瞬間が少ないような気がします。現に自分も無宗教に近いですしこれは仕方のないことのような気がします。ただ宗教が時間を有効に使って生きる、つまり私利私欲や選民主義思想にはげむことなく「他人を愛す」という根本的な非私利私欲思想が世界に広まる手段として機能してくれることを期待しているのであります。
 
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2008年08月12日(Tue)

明日は大掃除です

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今日、部活の合宿から帰還しました。祖母の法事も控えているので、早めに帰らせていただきました。今までにないほど後輩(中1)に対する指導が厳しかったと自分で思います。まあ体育会系なんて理不尽なことだらけです。僕たちもこっぴどくやられました。理不尽なようで、実は学年内の結束を確かなものにしてさらに礼儀を教えるいいきっかけになるんですね。小学校から中学校に上がってカルチャーショックを受けます。今までとは違う世界です。その中に身を置くことによって、精神的成長を望めるんですね。そうして今までの人生観をぶち壊して新たな人生観が生まれる思春期へと続いていくのです。いわばこの今までの常識が通用しないという「挫折」を経て人間関係の新たな形を学んでいくのですね。最近はこの方法を否定する動きもありますが、ひとつ言えるのは「挫折しないと成長しない」ということです。挫折を知らない人間は目に真剣さがありません。危機感というものを知りません。そんなのではふわふわしていると言われていても文句は言えません。
僕は苦労してきた人間ほど心から笑える人間になっていると思っています。今まで見てきた人で心からのやさしさがあったり、心からの笑みを浮かべられている人は、必ず昔に苦労をしてきた人でした。辛いことを知っているからこそ、人にやさしくできたり、今の平穏無事を素晴らしいものだと感じられたりするんですね。
さらに言えることは、そういう人は自分から苦労しているということです。逃げずに敢えて辛い道を選んできたということです。僕は決断に迫られた時に、自分にとって厳しい方を選ぶようにしようと決めていますし、相談された時にもそう答えています。自分にとって楽な方を選ぶことは誰にでもできるからです。やはり、懐の大きな人間になるには試練を乗り越えることは必要でしょう。

明日は久しぶりに文化祭作業ができます。みんなの顔を見るのを楽しみにして、また問題が起きていないことを願って、とりあえずは寝ようと思います。
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2008年08月07日(Thu)

Whatever/oasis

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I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want

I'm free to say whatever I
Whatever I like
If it's wrong or right it's alright

Always seems to me
You always see what people want you to see
How long's it gonna be
Before we get on the bus
And cause no fuss
Get a grip on yourself
It dont cost much

Free to be whatever you
Whatever you say
If it comes my way it's alright

You're free to be wherever you
Wherever you please
You can shoot the breeze if you want

It always seems to me
You always see what people want you to see
How long's it gonna be
Before we get on the bus
And cause no fuss
Get a grip on yourself
It don't cost much

I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want

Here in my mind
You know you might find
Something that you
You thought you once knew
But now it's all gone
And you know it's no fun
Yeah I know it's no fun
Oh I know it's no fun

I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want

I'm free to be whatever I
Whatever I choose
And I'll sing the blues if I want

Whatever you do
Whatever you say
Yeah I know it's alright

Whatever you do
Whatever you say
Yeah I know it's alright

和訳はこちらから見てみてください。
http://rincanohanasi.blog81.fc2.com/blog-entry-27.html

oasisはイングランドの労働者階級出身のバンドです。その影響もあるのか、中流階級出身のバンドやアメリカのバンド(イギリス人ですから)などを酷評する傾向があります。かなり下品な言葉で斬り捨てることもしばしばありますが、一方で曲を聴いて心変わりすることもあり感情的な人たちなんだなという印象を受けます。どうやら今や世界的に有名になった人たちではあるものの、今でも労働者階級出身というコンプレックスは消えないようです。反対にそのコンプレックスがあったからこそ、この「whatever」も生まれたのでしょうし、今のoasisもあるのでしょう。
この「whatever」は人のことばかり気にしないで、自由に生きなさいという意味が込められた曲です。vaioのCMでも使用されましたね。自由に生きないとつまらないよということも言っています。自分の好きなように生きろと言われても、なかなかできない人が多いですよね。決して好きなように生きて失敗することを悪いと言っているわけではなく、好きなように生きようとしない、またはできないことを悪いと言っているのです。どうしても失敗したときのことしか頭に浮かばなくなって、安全な方安全な方に流れていってしまいます。
ですが、そんな人生楽しいですか?
楽しいばかりが人生じゃないともいいますが、逆に楽しみのない人生は何ですか?つまらない人生ほど意味がないことなんてありませんよ?僕には、安定企業で毎日ルーティンワークをこなす人生より、毎日のようにリスクを冒してでもでっかく生きようとする人生の方が魅力的に見えます。それで、失敗して貧乏になってしまったとしても。だって、その方が「面白い」じゃないですか。
人生で一番大切なのは、実は「楽しむ」ことなのかもしれません。自由に生きることをもっと広めてもいいような気がします。もちろん自分で責任をとれる覚悟があるのならばですよ。そんな覚悟もなしに自分の好き勝手にやらせろというのはあまりに虫がいい話です。
ローリスクローリターンを選ぶか、ハイリスクハイリターンを選ぶか、それはあなたの自由です。僕はハイリスクハイリターンを選びますが、さまざまな考えがあるでしょうから…まさに
You're free to be whatever you
Whatever you choose
ですね。
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2008年08月06日(Wed)

委員長挨拶

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あまりにも疲れてて、頭が痛かったので(?)裏委員長挨拶を書いてしまいました。はっきり言って、中2病です。自分で書いた後に後悔しました。とはいっても決して嘘を書いているわけでもないので読みたい方は「続きを読む」からどうぞ。ただし誇張がないとは言っていません。気分を害される方もいるのかもしれません。自分の中の最も過激な部分が出たような気がします。まああんまり気にしないでください。なんでこんなこと書いたのか自分が一番よく分かっていません。別人格が書いたような気さえしています。疲れていると何をやらかすかわからないので気をつけないといけないですね。
今のうちに弁解しておくと、決して僕は何事にも反抗するようなへそ曲がりではありません。「普通」に比べれば曲がっているようですが。僕が嫌いなのは筋が通っていないことだけです。フラフラ動くコバンザメは少なくとも僕には必要ないです。筋が通った人間がいいです。その結果反動に走るなら存分に走るもよし、保守に走るなら保守に走るもよしです。ただ、もう一つ。僕は人に迷惑をかける人間も嫌です。なにしようと勝手だとは思いますが、やっぱりその行動が原因で他人の大切なものを台無しにしてしまうのはまずいですね。敢えてぶち壊すべきものがあってやるのであれば話は別ですが……

そろそろお盆ですね。僕も自分がここにいることを先祖に感謝しつつ、身近な存在としてちゃんと親に恩返ししないとと思います。
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2008年08月04日(Mon)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

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頭が痛いのはきっといろいろなことがあったからです。あ、睡眠時間が足りなかったかもしれませんね。それとも、今日のこの夏一番の暑さにやられたからでしょうか。よくわからないですが、なんだか頭が痛いです。

突然ですが、日本人の特徴といってなにが思い浮かぶでしょうか。いきなりで思いつかないとは思いますが、そのひとつに「無常観」というものがあります。表記だけみると勘違いしてしまいそうですが、決して「この世はなにもない」というような世界を否定するような言葉ではありません。そういう意味ではなくて、「この世に定まっているものはただ一つとしてない」という意味なのです。題名のように平家物語のような中世文学に好んで採用され、全てのものは移ろいゆくという日本人独特の世界観を作り出しました。
これはどのように今日のわたしたちに反映されているかというと、たとえば「有終の美」という言葉がありますよね。良くも悪くも、終わりがあるのだからそれは美しく飾れという意味ですが、これこそ日本人的「もののあはれ」がよく表れた言葉ではないでしょうか。いつか終わりのあるもの、もしくは変わりゆくものに風情を感じるのが日本人的発想ですが、西洋では永遠のものを美しいと感ずることが多いようです。
このような移ろいゆくものだという無常観が、今のわたしたちのトレンド主義にも結び付いているような気がします。絶対的なトレンドというものはありませんよね。どんどん時代が動いていく、流行りが変わっていく…これは本当に日本人的です。日本以外の国ではなかなかありえない現象のようです。さらにそこから完成という絶対的状態が否定されますから、常に進歩を求めているように思います。それがこの戦後の経済成長の原動力となったとも考えられるのではないでしょうか。
逆にいえば、絶対的なものが存在しませんから、危ういともいえます。日本人は騙されやすい民族だと思います。「ああ、それもいいのかな」とすぐに流されてしまう。気がついたらとんでもない方向に進んでしまっているということもありえます。後の祭りにもなりかねないのです。この危険性に早く気付かないと国際社会では通用できないのかなと勝手に思っています。
つまり、この良い面も悪い面も持ち合わせた無常感を持つ日本人に必要なのは、騙されない強さです。それは人生経験がもたらしてくれる自分に対しての自信です。「いやいや、そんなことありませんよ」と謙遜するのはいいですが、そうやっているうちに「ああ、俺本当にだめなのかもしれない」と自分を過小評価していませんか?自分を小さくとらえていると、その隙からどんどん魔の手が忍び寄ってきますよ?気がついたら、自分が自分でなくなってしまうかもしれませんよ?
だから、自分に自信を持つことが必要なのです。「俺はできる」という自己暗示をかけてもいいでしょう。自分のいい点を見つけて(席を譲ってあげる優しさとか、食べ物は残さないとかそんな小さなことでよい)、それをバネに自分を伸ばしていくのです。決して過大評価をしてはいけません。エゴイズムに走らないでください。事実に基づいた自己分析をしてください。「俺は席を譲ってあげる優しい奴なんだ」とか思っているうちに、不思議かな、本当に自分に自信がついてくるもんです。そうしておけば、他人をもっと冷静に見つめることができるはずです。流されない一本筋の通った人間になります。
どんなことでもいいですから、自分のいいところを見つけてください。自分のいいところがわかれば、他人のいいところも分かるようになります。他人のいいところを見つけ、それを気付かせてあげて、励まして、伸ばしてあげる。そして他人を自分のように思える。それがまさに「隣人愛」の発想です。
他人のために生きられる人間は、自分のために生きられる人間でもあるのです。
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2008年08月03日(Sun)

引き継ぎに何を書けばよいのか

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学校の仕事の引き継ぎとして書類を渡すことがありますよね。これで次の代に自分ができなかったことやできたことで次につなげていってほしいことなどを伝えることができます。ただ事項を羅列しても量ばかり多くなって、一つ一つの内容の価値が薄れてしまいますし、またどうしても伝えなければいけないことは絶対に落としてはいけません。では、どのような内容を記せば的確に自分の思いを伝えることができるのでしょうか。
一つは、僕が今までこのブログに記してきたことでしょうか。委員長とは何たるものか、文化祭とは何たるものか自分なりの考えを提示して次にもう一回考えてもらう材料を提示することでしょう。委員長は文化祭を自分色に染めていく役職ですから、自分なりの文化祭観がきちっと形成されなくてはいけません。さらに文化祭の方向性をきちっと決める理念を決めて広く周知した方がいいですね。さまざまな方向を向いたベクトルをまとめあげていく作業なくして、統一感のある文化祭ができない、またこれも事実です。その上でなにを留意すべきかを書いていくことが大切だと思います。そのために去年僕は次期委員長になる子に自己分析をやるように言っておきました。自分とはどういう良いところがあって、どういう悪いところがあるのか、遠慮なく自分なりに自分を鑑定する作業です。これをすることによって、自分らしい形の文化祭像がきっと見えてくると思ったからです。まだ彼には見えていないようでしたが、しっかり考えてくれているようなのできっとよい結論を出してくれると思います。
もう一つはもちろん細かな面の仕事内容の引き継ぎです。経験者を委員長にするのは、内部にいないと見えてこないことがあるからです。仕事をしているうちに細かな仕組みはいやでも身につくのです。引き継ぎでは、それを下地としてさらに委員長という特殊な職をこなす上で必要な知識を教えてあげるのです。そうすればいきなり委員長になって困ることもないでしょう。
最後に、これはつけなくてもよいとは思いますが、僕はつけようと思うことです。人間としてどうあるべきか。委員長といえども学生であり、人間です。社会の一員としてどうあるべきか、人にどうやって接するべきかを書いていきたいと思います。交渉の仕方などでも、人に与える印象は変わるのでそういう無用な軋轢を生まないようにしてほしいと思っています。僕はできませんでしたので、彼にはそうなってほしくないです。

来年是非やってほしいのは、自己満足を超えたお客様も楽しめる文化祭。カスタマーサイドに立った企画・立案が求められるので難しいとは思いますが、それに向けての素地は今年から作らないといけないですね。僕も次の代のためにも成功させないとと奮起しています。
後はもっと達成感のある文化祭。文化祭には勝ち負けはありません。だから人に比べてなんとかという観点は通用しないと思います。ただもっと「やってよかった」と感じられる工夫をしないとなと思います。この「やってよかった」という気持ちを広げていくことが、文化祭の発展を期すものになる決め手です。達成感というのは人間が苦労から解放された時に脳から分泌される快楽物質によるものです。つまり文化祭作業というものを「辛くも楽しい」ものにする、そしてその輪をもっと広くしていくことが必要です。彼も同じようなことを言っていましたから、ぜひその点は変えていってほしいですね。
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2008年08月01日(Fri)

夏休みになにをするのか

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まともな委員長日記も書かないと全く引き継ぎの参考になりませんね。
とりあえずパネルという壁にでも展示にも使える木の造形物(大きさは3×6を2個分、つまり正方形になりますね)が多すぎると言われて久しいですが、廊下の通行を邪魔してしまうほどたまってしまっていたようで、後輩に整理してもらいました。他にも、毎年のことですが、中1がペンキこぼしちゃったり、中2が車の目の前でサッカーしたりと夏休みには問題が付き物です。
夏休みの作業は日直が管理しています。これは総務から2人ずつ変わりばんこに出てもらっているのですが、彼らには資材貸し出しなどの専門的作業のスキルはありませんので、代わりに参団(参加団体の略)・資材係日直というのを別に設けています。彼らは係員だけで回すので、総務より多くの回数学校に来ることになります。僕も結構毎日のように学校に来ています。意欲が盛んな係員(まあほとんどですが)は日直以外の日も来てくれて大変助かります。
いろいろ忙しいのですが、毎日作業する部屋に行くとちゃんと誰かしら居てくれるので助かります。これなら安心して合宿や帰省ができそうです。誰か信頼できる人が組織内にいると、気持ちを楽に持てますね。前に進む原動力になります。
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